生殺与奪は与えない。
誤解を恐れずに言うなら、殆どの全ての人は評価される側にいます。学生であれば、通信簿や単位の取得といった評価であり、社会人であれば、年収や役職といった形で評価があります。
このようなヒエラルキー(階層社会)に対して評価の良い側の人は好感を持ち、逆に評価の悪い側の人は不満を持つものです。
不当な評価だと悪態をついても、文句を言っても何も変わりません。
だって、評価は人から与えるものだからです。でも、だからといって評価する側に全てを委ねてもいけません。
2006年のトリノ五輪で荒川静香さんが見せた『イナバウアー』は加点対象ではないにもかかわらず魅せてくれました。
記録には残らなくても今でもハッキリと記憶に残っています。
評価を気にする、必要なポイントを稼ぐはモチロン賛成です。でも、評価ばかりを気にして、誰かの『いいね』が欲しくて迎合する生き方は、もう自分の人生ではありません。
評価は良いに越したことはありません。ですが、思うような評価が得られないときもあります。
ときには、立場を利用しパワハラ以上の酷い言葉を投げかけてくる人もいるでしょう。
そのとき、あなたが許して良いのは一つの評価だけです。
『生殺与奪』まで与えてはいけません。